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我が家は庭に暮らす
文・写真 = 木佐貫ひとみ

「庭」掲載ページ
『庭 2002−7 146号』 
(龍居庭園研究所 編集/建築資料研究社 刊)
息子の冬星(とうせい、10歳)には、我が家の庭は欠くことができない大事なものです
庭が暮らしの中心にあります

 私たち家族は、まだ畑や田んぼが残る宮崎市の郊外で自然の恵みを身近に感じながら生活しています。
 春まっ先に芽吹くミツバツツジ、それを追いかけるように花をつけるクロモジ。そんな芽吹きから北風が木立を揺らす頃まで、我が家の暮らしを心豊かなものにしているのは“雑木の庭”です。

 これは、コナラを主木に宮崎の里山に見られる草木を配した八十坪ほどの林。窓から眺める庭は季節ごとに表情をかえ、見る者を楽しませてくれます。

我が家の庭は、小さな森のようになってきました
 この庭で、私たちは時には朝食をとり、お茶を飲み、夜には食後のお酒を楽しみながら星を眺めます。今年十歳になる遊び盛りの息子は、木登りや虫捕りをしたり、木陰で読書も。
 夏、緑に繁るコナラに赤いハンモックを吊るしてはしゃいでいる姿は、まるで木に遊んでもらっているみたい。こうして私たちの暮らしの中心に庭があります。  
本物の林と同じ質感 庭に吊ったハンモックにのる息子の冬星、
まるでコナラに遊んでもらっているような表情をしています
 私たち家族は林の中に棲むという夢をもっていました。八ヶ岳の森や下諏訪の鎮守の杜、湯布院の宿の美しい雑木林。旅を重ねながら出逢う木々に心惹かれ、いつか、窓辺に緑が枝垂れかかる家に暮らす日を想っていました。

 そんな私たちが、縁あって久富正哉の“雑木の庭”に出逢い、その出逢いが、今の私たちの暮らしの始まりです。

 彼のつくる庭は、本物の林と同じ質感をもって身を置く者を包みます。限られた空間ながら、木の配置や下草のかたまり、余白、それが絶妙で、子供の頃遊んだ里山の風が吹き抜ける道や日溜まりを想い起こさせます。

コナラの幹にテントウムシが卵を産みました

 『我が家は、庭に暮らす。』私たちはそう決めて、家づくりは庭が中心。家の設計を依頼した建築事務所には、まず「久富さんの庭に似合う家をつくってください。」とお願いしたほどでした。


庭から生きる力を得る

 今年四月、緑が萌出す頃。我が家は恒例のオープンガーデンを催しました。

 この季節、木々の発散する“命”は力強く、毎日生長する枝や濃くなる緑を眺めていると胸が躍ります。その命の輝きを家族だけで見ているのはあまりにも勿体ない。そこで毎年この時期、庭を開放して、皆さんに木の“気”を感じながらひとときを過ごしていただきます。

 この日はデッキをカフェにしつらえ、大小五つのテーブルに、息子手づくりのメニューと野花を飾りました。ゆっくりと庭を散策したあと、木漏れ日を楽しみながらお茶を飲んでいただく趣向です。

我が家の庭が劇的な変化を見せる夕暮れのひと時
 雑木の庭は、ただ眺めるだけではなく、そこに身を置いて時を過ごしてこそ真の魅力がわかるからです。
オープンガーデン見学の方 オープンガーデン見学の方 オープンガーデン見学の方
無垢な木々の命に触れれば、顔の表情も穏やかに・・・ デッキではおしゃべりの花が咲きました オープンガーデンで、庭をジィーっと眺めるお客様が
 用意した飲み物は、コーヒー、紅茶、シャンパンなど。シャンパンは、本当に新緑によく似合う飲み物で、木漏れ日の中でいただくのは最高。お菓子は、先日ロンドンで見つけてきたどんぐり印の入ったビスケットと私が焼いたスコーン。テーブルにはおしゃべりの花も咲きました。

 このカフェはすべてが“おもてなし”です。なぜなら、オープンガーデンは、日々庭に生きる力をもらっている私たち家族から庭への感謝を込めたお祭りですから。

 ガレージの前では、夫と息子がコナラとモミジの苗のミニショップをひらきました。

 毎年春先になると、前年の秋、拾いきれなかったどんぐりが、地面からたくさん芽を出します。せっかく芽生えた命を捨てるには忍びないと、二人がせっせと移植し育てたものです。

庭の木々とともに日々を送り、
命の尊さを教えてもらっています
 父子には“地球に木を増やしたい”という共通の夢があって、オープンガーデンは、この夢を広げる大きな機会です。セールスボーイの息子がコナラの育て方やどんぐりの遊び方などを話しながら、上手に苗を売っていました。毎年七十鉢ほど売り上げて4回目。《こなら亭》産のコナラとヤマモミジがもう三百本くらい各地で育っている計算になります。ちなみに一鉢百円也。この苗の売り上げでいつかコナラの森をつくりたいね、と親子で夢を語っています
 また息子は、お客さまにコナラの庭を知っていただくために、今年も“どんぐりガイド”をつくりました。今回は“どんぐりくん”が出てくる四コママンガやどんぐりの紹介利用法など描いていますが、去年のものと比べると彼自身の成長が見えて来て、親としてはうれしいものです。花摘みや夏の庭でのキャンプ、冬、集めた落ち葉に体を埋めての記念撮影。庭の木や草花や虫達に育てられた彼の感性があふれている“どんぐりガイド”です。
冬星、バザーでドングリ屋を開店!

感性で時季を知る

 私たちがこの庭に暮らし始めて、やがて六年目の夏を迎えます。この季節に思うのは、雑木の庭は“命”に満ちあふれているということ。四季の流れとともに木々はその“命”の変容を見せ、懐に小さな虫の“命”を宿らせ、それはまた別の“命”が生きるための糧になって、ここでたくさんの“命”が巡り廻っています。夏の夕暮れ、枝に巣を架ける蜘蛛の動きを見ながら、その命の営みに、私たちは深く心を動かされます。

苗と案内状
 こうして身近に“命”を感じながら育っている息子は、この暮らしを通して、本当に「大切な」「美しい」ものを感じ取る力をつけてきました。たとえば飛ばしたシャボン玉。木立の中で風に乗り虹色に輝くのを見ながら、「きれいだね。」と呟く彼の澄んだ瞳。その瞳は、何が“心の宝物”であるか知っている、と語っています。

 彼はまた、感性で時季を知る“自然の時計”を得ようとしています。

 風のやさしさや匂い、木立の翳り方で知る季節の移り変わり。空気の澄み具合や陽の高さで感じる時の動き。私も子供の頃、時計やカレンダーがなくても時季を“感じる”ことができていたのを、庭は思い出させてくれました。

落ち葉にくるまれてご機嫌の冬星
コナラの木のお陰で 冬星 も木登りが上手になりました。コナラに感謝!



本物の豊かさ

 今年もコナラはたくさんのどんぐりを実らせています。秋、時が満ちたら、ウッドデッキにも落ちて乾いた大きな音を響かせるでしょう。それは、いよいよ寒さが近づいてくるという合図。その音を聞くと、私は「長袖のシャツを出さなくては。」と思います。

 季節を感じながら、私たちは庭に育まれ、自然のもつ神秘に心を動かし、庭とともに暮らしていきます。「木に寄り添う暮らしには、本当の豊かさがある。」そう想いながら。
                                (きさぬき・ひとみ=MRTラジオ・パーソナリティー)

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